2013年3月2日土曜日

ひな祭り

3月2日(土)

春一番が吹いて本格的な春はもう直ぐです。

明日(3月3日)は、ひな祭りです。




「桃の節句」ともいわれ、女の子の節句です。

今年は日曜日なので、家族でお祝いをされるでしょう。


 ひな祭りの歴史 
 ひな祭りは、古くは「上巳の節句」「弥生の節句」などの呼び名があり、五節句(「人日」「上巳」「端午」「七夕」「重陽)の一つにあたります。
女の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、白酒や桃の花を供えてお祝いします。
   

ひな祭りの起源は中国までさかのぼれるとされています。
昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。
その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。
それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。この厄払い様子は今でも下鴨神社で行われる「流しびな」の行事に再現されています。

 この紙のひな人形が発展し、現在の豪華なひな人形になったとされています。

また、ひな壇を設けるようになったのは、江戸中期からだそうで、それまでは畳に直にじゅうたんを敷き、人形や調度を飾っていたとか。

●桃の節句の由来
■桃の節句は、平安時代から
 桃の節句の起原は大変古く平安時代に遡ります。昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身のけがれを祓う大切な行事でした。その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。


■上巳の節句が桃の節句へ
  平安時代、上巳の節句の日に人々は野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。
この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。
 室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、やがて紙の雛ではなく豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。
その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。
■初節句のひな祭りは、身のけがれを祓う災厄除けの行事です。
 ひな祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民の間にも定着して行ったお祝いです。
ですから単なるお祭りではなく、お七夜やお宮参りと同じく女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事、いうなればお雛さまは、赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を、代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神のようなもの。
気持ちの問題ですが、省略せずにきちんとお祝いしてあげてください。




















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