清々しい五月晴れです。
今日は、相幸の創立記念日です。
昭和63年5月20日、大森北に小さな事務所を開設して、今迄サラリーマン生活をしていましたが、
お互いに(相)幸せ(幸)になるようにと株式会社相幸と名付け、今日で28年目になりました。
当時を偲びますと、荏原製作所という風水力メーカーに勤務していましたが、諸事情(話せば長くなりますので割愛させていただきます)
により独立を決心いたしました。
特別な勝算も無く、我武者羅に働く事だけを考えて独立したのですから、僅かな退職金だけで将来
に向かって生活に不安が無かったわけでも有りませんでした。
28年前の5月20日は、今日と同じような五月晴れに恵まれました。
知人・友人等50名程度のご招待者から祝福されて船出をしたものの、その次の日からは大変な
日々の連続でした。
会社に行っても
仕事がない
電話がかかってこない
お客様も来店しないし、訪問するお客様もない
事務の女性を一人雇用しても、仕事は掃除とお茶出しぐらい
慣れない帳簿をつけても、売上げも、利益もほとんどない
苦境に強い私に出来ることは、今迄のプライドを捨て、生活費を稼ぐことでした。
家族4人が生活するには、泣き言は言えません。
100円を儲けるために汗を流し、足を棒のようにして歩く毎日でした。
心身ともに疲れ果てても生活費を稼ぐことは並大抵の事ではありませんでした。
お世話になった荏原製作所の皆さん、そして多くの友人・知人に応援していただいて
少しずつではありますが売上と利益が増えてきました。
然しながら、従来の仕事絡みですと売上が即、現金になりません。
多額の手形を頂いても決済が6か月先になることもあります。
そして、転機が訪れたのです。
荏原製作所に在職中に取得した宅地建物取引主任の資格で、不動産業に方向転回したのです。
当時は、バブルの時代でしたので不動産業のピーク時でした。
不動産はすべて現金取引です。
不渡りなど心配することがないのです
賃貸から始まり売買・管理の仕事が増えました。
バブル時代も終わり平成へと年代も変わりそこから、不況時代に入って行ったのです。
お蔭様で不況と反比例してゼロだったお客様が次第に増え、少しずつ余裕が出てきました。
不動産だけでは将来が期待できず、立会川に餃子のお店{愛好}を出店し、
地元の方々にお世話になり、立会川駅前に相幸立会川駅前店を開設して、大森を本社とし、
3店舗を毎日雨の日も風の日も自転車で回り頑張りましたが、時代の変化に餃子の店{愛好}
は、立会川駅前にダイニングバー{アイ}として移し、不動産は大森の本社を閉鎖して、立会川店に
統合しました。
相変わらず不況が続き、決して楽な生活とは言えませんが、28年前を偲べばお客様も増え、
電話も鳴り、来店者も来られ、訪問する場所も出来、その頃の苦労に比べれば天国と地獄の差に
思えます。
病気や怪我もせず過ごしてこられた事に感謝します。
28年間の出来事を全てお伝えできませんが今、考えますと大変な転換期を過ごし頑張って今日ま
で来れれたことに、間違いは無かったと嬉しく思います。
勿論、私一人で頑張った結果では有りません。
苦しい時、悩んだ時、挫折した時、あらゆる時に
叱咤激励、ご指導して頂いた方々に感謝の思いで一杯です。
30周年迄は、元気に頑張りたいと思います。
今後とも、あらゆる面で宜しくお願いいたします。
立会川・大森海岸・平和島
大井町・大森
不動産情報は
立会川駅前
株式会社相幸
相幸のHP
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